もの思う、往復120km。

ちょっとそこらへんを、と思って家を出たのに、
走っていたら、「青梅まで40km」という看板が見えた。
青梅には、とても好きな喫茶店がある。
このまま走り、その店の窓際の席でコーヒーを飲もうかと思ったら
急に気持ちが上向いた。
結局、店の近くに駐車場が見つからなかったので、
国道沿いの
大きなマクドナルドでコーヒーを飲んで帰ってきたのだけど、
旅先など、知らない町のマクドナルドに入るのは意外と好きだ。
その町の、いつもの顔に出会えるみたいで。
途中、以前原付バイクを購入した店の前を通った。
なつかしくて、そのときのことをいろいろ思い出していたら
たまたま信号待ちで、その店の前に停車した。
店のおじさんはいなかったけれど、あのときと同じように
古ぼけたカレンダーがレジの奥に飾ってあった。
「ヒロコさんは、バイクが似合うと思う」
昔、たったひとりだけそう言ったひとがいた。
「車は似合わないし、運転も向いていないと思うけれど
バイクはとても似合うと思う」
走っているうち、唐突にそんなことばを思い出した。
どうしてその話題になったのか覚えていないし、
そのひとがいま、なにをしているのかもわからないけれど、
「ヒロコさんはインドの町を歩くとき、
とても怖い顔をしているんだよ。
だけど、インド人に話しかけられると、途端に顔がほころぶんだ。
そのギャップがすごいと思う」と言われたことは
いまでも心に残っている。
青梅に向かって走りながら、久しぶりにインドのことを考えた。
遠く離れたふるさとや、
もう何十年も会っていない旧友を思い出すような気持ちで
あの国のことを考え続けた。
いつか、あの国の赤茶けた大地を
旧式のロイヤルエンフィールドで走れたらいいと思う。
遠くにチャイ屋が見えたらひと休みして、
また次のチャイ屋を見つけたらひと休みして、って
そんな旅ができたらいいなと思う。
パンのにおいがすると思ったら、すぐ先にヤマザキのパン工場があり、
甘いにおいがすると思ったら、となりには大きな梨畑が広がっていて、
ああ、秋のにおいだと思ったら、道端では金木犀が満開だった。
青梅の直前でゆるいカーブを曲がると、
奥多摩の山並みがきれいに見えて、
その瞬間、無意識に声がもれた。
こんなに素敵な景色、たった数秒走りながら眺めるだけなんて、
あまりにもったいなくて、贅沢だ。
青梅の町を軽く一周して
そのまままた、国道を戻ることにした。
途中、わたしを颯爽と抜かしていったカワサキのW800が
先にある「すき家」へ入っていくのが見えて、
わたしはその人と、とても親しくなれそうだと思った。
環八から甲州街道へ出ると、そこは反対方向の車線で
「甲府まで100km」という看板が見えた。
どうしようかな、どこかでUターンしないと、と思っていたら
真正面の上空に、冴え冴えとした三日月が見えた。
道を間違えるのなんて、どうってことない。
だって、正しい方向に出ていたら
三日月に背を向けて走ることになっていたのだもの。
「世のなかで起こることは、すべて良いことである」って
ほんとうにそうだなと、つくづく思う。
「世のなかで起こることは、すべて良いことである」
ものごとは、すべて自分の意思で選ぶから
たとえどんな結果でも、みんな良いことなのだと思っていた。
だけどこんなふうに、突然、ギフトみたいなイベントに出くわすと
案外、自分で選ぼうが選ぶまいが、
世のなかで起こることは、
すべて良いことなのかもしれないと思えてくる。
川沿いの団地や小さな商店街を抜け、
再び環八に戻って甲州街道、そして、環七。
ようやく、家路が見えてきた。
家では昨晩、
ひさしぶりにワインをたくさん飲んで帰ってきたときの荷物が
まだソファの上に転がっていたけれど、
すぐにノートパソコンを持ち出して、
最寄り駅近くのマクドナルドへ行くことにした。
やらなければならない原稿が1本、あるのだ。
今日、2軒目のマクドナルド。
ひとりで走るのは楽しいのに、
そのあと、ひとりで家にいるととてつもなくさみしくなるのは、
いったい、どうしてなんだろうな。