いまのわたしに、必要なちから。
一人称の世界で心を遊ばせることを「空想」というのなら、
「想像」とは、誰かと共通の世界で思いを巡らせることを
いうのだろうか。
たのしいとか好きだとか、
自分の感情が世界のすべてを占めることを「空想」というのなら、
そこに誰かの意思が確実に存在して、
物語の主人公が、「わたし」から「わたしたち」になることを
「想像」というのだろうか。
だとしたら、いま、わたしが欲しいのは
空想をするちからではなく、想像をするちから。
同じじゃないから、出会うのがたのしくて、
ちがいがあるから、もっともっと知りたくなる。
そんな未来が、あればいい。