叶っても感謝。叶わなくても、感謝。
年末、ひょんなところで友だちになったひとが
いつも優しいメールをくれるのだけど、
決して筆無精ではないわたしでも、
そのひとの丁寧さには敵わなくて、
つい、返事を送るのが遅くなってしまっていた。
だけど今日、神社でとてもきれいな梅の花を見つけたので、
「おすそわけです」と写真を送ったら、想像以上に喜んでくれた。
「なんだ、こんなことでよかったんだ」と、
ふっと、肩からちからが抜けた。
*
わたしたちは、というか、わたしは
たいていのことを考え過ぎてしまい、
石橋を叩いて、叩いて、みごとに叩き割ってから
「ほらね、やっぱり危なかったのよ」と、訳知り顔で堂々と言う。
それはそうだ、だって、叩き割るまで叩くのだもの。
あたまのなかには、「石橋は割れる」という考えしかない。
いいイメージは浮かばない。
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去年の夏から、ある本の制作を手伝っていた。
何度も取材を重ねるなかで、そのひとは
「決断の前で足が止まったら、
『最高のシナリオ』と『最悪のシナリオ』を考える。
世のなかのことは、だいたいそのふたつの間に収まるから、
なにが起こっても想定内になる」と言った。
その言葉がなぜかこころにひっかかっていて、
いったい、なにが気になるのだろうと、ずっと考えていたのだけど、
最近、ああそうか、わたしは
「最高のシナリオ」を想像することができないのだと気がついた。
「最悪のシナリオ」はなんとなく思い描くことができる。
でも、「最高のシナリオ」は描けない。
描けないというより、想像することに
こころのどこかでストップをかけているんだと思う。
「最高を想像してはいけない」「幸せを考えてはいけない」
「自分が幸せになってはいけない」「なれるわけがない」
結局、むやみに期待してしまっているのだろう、未来に。
先日、無事にその本が校了した。
同時にわたしも、
最高のシナリオを描くことを頑張ってみようと思った。
ヨガの本に「なんの種を植えたのかわからない畑に向かって、
マンゴよ、なれと言っても得られるはずがない。
マンゴの実が欲しいなら、
マンゴの種を植えなければならない」とあったことを、
最近、よく思い出す。
「最高のシナリオ」は、本当は最高でもなんでもなくて、
きちんと種をまいて、
それが順当に芽を出した結果なのだろうと思う。
*
年末から、ときどき銭湯へ行っている。
いつもお客のほとんどがお年寄りで、
正月前は、「うちは孫がたくさん来るから、
カボチャサラダとポテトサラダとマカロニサラダを
山盛り作ったのよ」とか
「にぎやかでいいわね、うちはひとりだから」
なんていう話を聞きながら
それぞれの食卓を想像した。
こんなふうに、なにげない会話を聞きながら
いろいろな情景を思い浮かべるのが大好きだ。
できることなら、わたしもその会話に混ざりたくて、
これがもしインドなら、
下手なヒンディ語を使って会話に加わるのに、と考えたりする。
このあいだ、銭湯へ行ったら
自前のたわしでタイルの目地を掃除しているおばあさんがいた。
わたしはその様子を湯船のなかから眺めていた。
おばあさんは一列分の目地をきれいにしてから
満足げに、シャンプーやリンスをまとめて
脱衣所へ引き上げていったのだけど、
扉のところで、だいじなたわしを落としてしまった。
おばあさんは気づいていない。
わたしは湯船から上がって裸のままたわしを拾い、
「これ、落ちましたよ」と脱衣所と浴室の境で大声を上げた。
おばあさんは、あらあらという顔をしながら
「ありがとう」と、にっこり笑った。
満月みたいな、笑顔だった。
うちの近くには数軒の銭湯があるが、
わたしがよく行くところは、うちからいちばん遠い。
そこへ行くまでには、
八百屋も、魚屋も、豆腐屋も、パン屋も、古道具屋も、なんでもある。
そんな道のりも大好きだ。
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8年、書き続けた雑誌が、次号で終わることになった。
毎号、巻頭に載るエッセイのような文章を書いていて、
もう50回にもなる。
「次で、最後」
そう思いながら、今度はなにを書こうか考えている。
「次で、最後」
そう思うと、どうにもせつなさとかさみしさとか、
そんな感情しか浮かんでこないのだけど
最後だからこそ、礼儀ただしく終わりたい。
長年住み慣れた家をピカピカに磨き上げて、
「お世話になりました」と去るように、気持ちよく幕を閉じたい。
これまで書いた50回分の原稿を、
わたしはほとんど読み返したことがない。
だけど、もしいま読んだら、
それぞれを書いたとき、こころを占めていたさまざまな感情を
ありありと、思い出すことができるだろう。
それくらいわたしにとっては、
毎回、こころの奥深くから絞り出すようにして書いた原稿だった。
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去年くらいから、なんだか体調がおかしいなと思うことがあったので、
来月は思い切って、自分のメンテナンスに当てることにした。
夏からお手伝いしていた本のなかにあった言葉、
「傷ついて、気づいて、築く」。
人生で起こることは、なんでもそのとおりだなと思う。
インドにいるヨガ仲間は、いつも
「叶っても感謝。叶わなくても、感謝」と言う。
わたしも、そんな気持ちで毎日を過ごしたい。
そんなふうに暮らせたら、どんなに心地いいだろう。
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さっき、八百屋でポンカンを買った。
デコポンと迷ったけれど、
「これ、お勧めだよ!」というおじさんの声につられ、
小粒のポンカンを手に取った。
最近は、菜の花やふきのとうなど、
苦みのある春野菜がとてもおいしい。
冬眠あけの動物は、まず、苦みのある野菜を食べて
冬のあいだ、体内にたまった毒素を排出することから
活動をはじめるという。
さて、わたしもそろそろ始動だ。
春は、すぐそこ。
梅の花のもも色が、日に日に色濃くなっていく。