アジアとアジアの飯をこよなく愛するライターの、「旅」と「パン」と「おいしいもの」があれば幸せな毎日の記録です。
by asian_hiro
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トマトと梅仕事
手を動かし、心を揺らす。
トマトと梅仕事_c0001023_2147288.jpg

今朝、起きてすぐにプチトマトのマリネを作り、
それから、ほうれん草と春菊でごまあえを作った。
午後に買い物へ行き、大粒の梅2kgを買い、
梅酢と梅ジュースを作った。
梅の実を流水で洗ったあと、
つまようじを使って、実のへたをひとつずつ取る。
作業をしながら、昔、住んでいた家にあった
大きな梅の木を思い出した。

毎年、シーズンになるとかごを持って梅の実を摘んだ。
全部、取り終えると数をかぞえた。
それほど大きくない木だったけれど、門の左右に2本あり、
両方合わせると、たしか毎年、数百個は越えていたと思う。
その梅を使って、母は梅酒を作った。
わたしはまだ子どもだったから、
ただの一度もその味を試したことがない。

梅仕事が終わったあと、
ズッキーニとパプリカで、マリネを作った。
プチトマトも入れようと思って、
一緒に店で買ってきたのだけど、
梅の実や、氷砂糖や、酢や、保存瓶などがとても重く、
途中、緑道のベンチで休憩しているとき
1パック、全部食べてしまった。
黒いねこがこっちに近寄ってきたけれど、
ごめんね、きみはトマトを食べないよねえと言いながら
わたしがひとりで食べ終えた。

6年前、ニューヨークに住んでいたとき、
テロで犠牲になったひとたちの
形見や写真などが飾られたビジターセンターへ行った。
そこにあった1枚の手紙が、いまだに忘れられなくて、
ときどき、ふっと思い出すのだ。
“No I am sad"
もしかしたら、
テロで亡くなったひとの子どもが書いた手紙なのかもしれない。
その文章には、背の高い2つのビルと
それらに水をかけている消防車のイラストが添えられていた。

どうして、"No" のあとに "I am sad" が続いているのか。
それが、ずっと気になっていた。
学校で習った英文法では、
"No" のあとには、必ず否定文が続いたはずだ。
なのに、“No I am sad" とは、いったいどういうことなのだろう。
「いいえ、わたしはかなしいのです」

梅仕事をしながら、この文章について考えていた。
梅の実のへたは、つまようじを差すとするりと抜ける。
それがとても気持ちよく、1個、また1個と、
調子良く作業を進めているとき、
突然、ふっと思いついた。
"No" と "I am sad" のあいだには、
もしかしたらピリオドが隠れているのかもしれない。
正しくいえば、"No, I am not. I am sad." になるのかもしれない。
これなら文法に適っている。
そう思いついた瞬間、
6年間の時間の重みがすっと溶けたような感じがした。

「いいえ、わたしはかなしいのです」
彼、または、彼女にそう答えさせた質問とは、
いったいなんだったのだろう。
そもそも、「かなしい」の反対語はなんなのか。
「うれしい」だろうか「しあわせ」だろうか。
でも、「あなたはうれしいのですか」
「あなたはしあわせですか」など、
テロと関わりのある子どもへ、質問をするひとがいるだろうか。

「いいえ、わたしはかなしいのです」
いったい、彼、または、彼女がこの答えを口にしたシーンは
どんなものだったのだろう。
そのとき、彼、または、彼女はどんな表情をしていたのだろう。
そんなことを考えながら、
1kgの梅をりんご酢と氷砂糖に、
もう1kgの梅をたっぷりの氷砂糖に浸けた。
そういえば、去年の秋は栗の甘露煮ばかり作っていたのだ。
ときが経ち、今度は梅仕事をする季節になった。

過去記事   2008年3月31日 「ことば」
by asian_hiro | 2014-06-15 00:43 | 日々のこと
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