Your face is changing everyday.
朝は、いつも市場からはじまった。
ひとが、ものを食べる様子を見ながら
わたしのなにかが、少しずつ満たされるのを感じていた。
まだだいじょうぶ、
まだいける、と。
それから、寺へ行って
お坊さんたちと一緒に、坐禅を組んだ。
歌うようなお経は、
インドで耳にするチベット仏教やヒンズー教のマントラと違うけれど、
すべての宗教の目指すところはすべての人の目指すものと同じなら、
この読経もわたしの願いと同じはずだ。
いや実際、わたしの願いとはなんだろう。
話したいことなら、たくさんあるが、
そもそも、願うことはなにもない。
毎日、アシュタンガばかり何時間も練習した。
日によって、8時間くらい練習に費やすこともあり、
まわりのひとから“super yogini!!"と声をかけられた。
ほんとうに、疲れを感じることはなかったのだ。
体を動かしているうちは、心を揺らさずにいられた。
ヨガとヨガの合間には、いつも茶屋でミロを飲んだ。
ときどき、温泉卵を2つコップに割ってもらい、
シーズニングソースをかけて食べた。
そしてまた、次のヨガクラスへ出る準備をした。
すべてのクラスを終えると、もう21時頃になっていて、
たいてい、そのあとにはミロや豆乳を飲むくらいだったんだけど、
ときには、屋台で大好きなパッタイを食べた。
お堀のそばの屋台街は、夜遅くまでにぎやかだ。
隣のテーブルから聴こえる、タイ語の会話に耳をすませ、
むかし、ヨガをはじめる前、
純粋に旅を楽しんでいたころのわたしを思い出した。
あのときの旅仲間は、みな、どこに行ったのだろう。
強くなりたいと思って、ここへ来たわけじゃない。
だけど、“あなたほど、強いひとを見たことがない”
あるひとは、そう言った。
また、あるひとは、
“毎日、顔が変わっていく”と言ってくれた。
その言葉を聞いただけでも、ここへ来た価値があったと思った。
小学校では、子ども達がエイヤーと空手の稽古。
“ヨガは、人生を escape するためのものじゃない。
人生を prepare するための道具なのだ”
耳にしたことばが胸に刺さる。
夕方には、ときどきお堀のそばのベンチで昼寝をした。
通りの向こうからプップーと音がするので顔を上げて見てみると、
肉まんを売る屋台のおじさんが、こっちを見て笑っている。
そうか、ここはタイだった、インドじゃないんだ、
道端でこんなふうに昼寝をしているひとはいないんだって
ちょっと恥ずかしく、苦笑い。
ヨガをして、町を歩いて、部屋に帰ってぐっすり眠る。
大晦日には、108回の太陽礼拝をした。
ジャンプバック、チャトランガ、ハンドスタンド。
ひとつひとつこなしながら、呼吸をする。
木の匂いがただようスタジオには、
ホーホーというふくろうの鳴き声と、
新年を待ち切れず、打ち上げられる花火の音が響いていた。
夜行バスでバンコクへ帰るという日。
最後のクラスで、ようやく自由が手元に戻ってきたのを実感した。
胸が開き、背中が伸び、
体のあらゆる関節が、気持ちよく呼吸をしている。
この滞在のことを、すべてきれいに消化するには
まだ、ずいぶん時間がかかりそうだけど、
とりあえずは目の前の、
明日といういちばん近い未来のことだけ考えながら
今晩も眠りにつく。
http://www.wildroseyoga.org