たとえ、道がいくつかにわかれようとも。
その家のあさがおは、今日、いっせいに咲いた。
秋が深まり、空が日に日に高くなっていくなか、
夏の名残の、あお紫のあさがおは、
同じ時刻、同じ場所で、同じように咲いた。
見つけたときは、まだ、咲いていると思い、
写真を撮って花をあとにするときには、もう、おしまいと思う。
なんだか最近、こんな気持ちの繰り返しだ。
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このごろ、栗の渋皮煮を頻繁に作っている。
なにも考えず、ひたすら栗の鬼皮を剥き、
重層を加えたお湯で、何度か茹でこぼしたあと、
一晩かけて、たっぷり蜜をしみこませる。
そういえば昔、犬を飼っていた頃、
ときどき何時間もかけて犬小屋の掃除をした。
そばでは、犬が走り回ったり、昼寝をしたりしていて、
わたしはたわしで小屋を磨き続けた。
様子を見にきた母は、
「同じことを続けてよく飽きないわね」と言った。
飽きることを知らない。
それは、よくも悪くも「わたし」という人間を指すみたいだ。
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人生のわかれみちで、必ずしも正しいものを選ぶ必要はなく、
むしろ、選んだものが正しい道になっていくのだと思うけれど、
ただ、ひとつ、
深い井戸に小石を投げ続けるようなことはしない、
こんなことも、最近よく考えている。