後悔するのは、もう、ほんとうに嫌なので。
昨日、取材である神社へ行ったとき、
靴を脱いで、本殿に上がった瞬間、
右足の人差し指につけていたリングが切れた。
刃物でまっぷたつにしたように、見事な断面だった。
あるはずのものが、ないという不安定感。
それは、去年の5月にインドのダラムサラで買って以来、
片時も離さずつけていたリングだったので、
すかすかになってしまった人差し指がなんだかとても落ち着かなくて、
今日、早速新しいトゥリングを買ってきた。
同じデザインだけど、
たぶん、これまでのものより2mmくらい太いのだろう。
その太さに慣れず、
「そこにあるのに、ないような違和感のなさ」にはまだ遠い。
リングを買った帰り、本屋に寄った。
棚をぶらぶらと見渡していると、ある小説に目が留まった。
それは、わたしの知人が仮名で執筆しているもので、
わたしは、彼が小説を書いていることを知っていたけれど、
それを読むということについては
なぜかいままで思い至らなかったのだ。
しかし、目に留まった今となってはどうしても読んでみたくなり、
その小説を手に取り、計6冊、購入した。
そして、ついさきほどからそれを読み始めている。
真面目な顔、笑っている顔、考え込んでいる顔、
彼のいろいろな表情が、あたまのなかに浮かんでは消える。
最近、立て続けに不思議な夢を見る。
亡くなった父と祖母が夢に出てきて、
眠っているわたしを起こし、あることについて注意を促すのだ。
見落としちゃいけないよ、
気づかなくちゃいけないよ、
夢に出てくる父も祖母もとても若く、
恐らく、わたしが小学生くらいのときの、彼らの姿じゃないかと思う。
もうそろそろだよ、
見逃しちゃいけないよ、
彼らは、目に深い色をたたえて言葉少なにそう語る。
わたし自身、
あとで悔やむのは、もう、ほんとうに嫌なので、
彼らのその忠告を、静かに受け止めようと思っている。
そうと決まったら、まずは家を探すところからはじめないとね。
今度も眺望のひらけた部屋がいいなあと思う。
写真は、ある喫茶店のナポリタン。
甘く、やさしく、まろやかでなつかしい。