「たぶん、あのときが」と、あとになって気づく。
たとえば、「旅に出たいなあ」と言っているうちは、
ほんとうに、旅に出ることはできないんだと思う。
もし、ホンキで旅に出たいんなら
目の前のことをばーんと投げ出して、
がーっと航空券を手配して、
さーっと空港へ出かけてしまえば、
すぐにでも、海外へ行けるはずだもの。
「そんなさあ、無責任なことできるわけないじゃないの、
オトナなんだから」
ごもっとも。
だけど、そんなこと言っていたら
永遠に「旅に出たいなあ」って繰り返すだけじゃないのかな。
ホントに旅に出るひとは、
「出たいなあ」なんて言わないんだよ。きっと。
わたしについて言えば、
旅に出るときは、ずいぶん思い切った行動をとるのに、
ほかのこととなると、からっきしダメで
腰が重いというより、いつも無意識に「やらない理由」を考えてる。
その免罪符があるうちは
行動を起こさなくても “まだ” だいじょうぶって。
だから、「あれをやりたいなあ」「これが欲しいなあ」って
そんなことばかり、つい、口癖のように言ってしまうんだよね。
だけど、「行きたい」が「行く」になり、
「やりたい」が「やる」になる。
そんな瞬間は、確実にあるんだよね。
どのタイミングで、ギアがチェンジされたのか
あとになって考えてみると、
「あのとき」と思い当たることがどこかにあるのだろうけれど、
もう、その時点では引き返せないし、引き返すはずもない。
時は、確実に流れているし、
「やらない理由」なんて、入り込む隙はもう
どこにもなくなっている。
いいね!
そんなふうに意思を持って流される人生。
友だちがその渦中にあれば、応援旗をぶんぶん振って励ますし、
自分がその渦中にあれば、脇目も振らず、荒波に揉まれたいね。
友だちが、間もなくベーグル屋さんをオープンします。
その話は、また後日!