振り返り、歩き出す。
過去のことばかり、考えた旅だった。
正確にいえば、未来のことを一切考えない旅だった。
未来のことを考えない、それはつまり、帰国したらまずは何をしよう、冷蔵庫はからっぽだから、とりあえず牛乳と卵とパンを買わないと、というような小さなことも含めて、これから先のことをなんにも考えないようにするということであり、そういうことがムクムクと心のなかを占拠するたび、ほうきで一掃するみたいに考えることを完全に拒絶した。そのかわり、たとえば、きれいな夕日を目の前にして、ああ、そういえば昔、マウントアーブーで見た夕空は七色に光っていてきれいだったなあと思い出すように、気づけばこころは過去の時空をさまよい、いまと過去の継ぎ目が曖昧になることが多かった。そんなふうにして、わたしの16日間は過ぎて行った。
インドへ行くのは10回以上にもなり、いまや、この国で過ごした時間は合計600日くらいになるから、正直なところ、もう、「あれがしたい」「これが見たい」というものはほとんどない。でも、せっかくインドへ行くのだからなにか新しいことをしようと考え、はたと思いついたのがマンガロール郊外にあるムーダビドリという町だった。ここには、古くて美しいジャイナ教寺院があると聞いている。それを見に行こうと思ったのだ。
そもそも、わたしにインド建築のおもしろさを教えてくれたのは、昔、出会ったある旅行者で、そのひとと一緒にラジャスタン地方からグジャラート地方にかけてイスラム建築やジャイナ教寺院を見て周り、この地球にはまだまだ自分の知らない世界が山ほどあるのだとうれしくなったことがある。まるで目の前の扉が一枚ずつ開いて行くみたいに、自分の世界が広がるのを感じたものだ。
ムーダビドリは決して小さくはないが、大きくもない町だった。まったく地図も持たず、適当に歩いていたら、あっという間にジャイナ教寺院に到着した。さらに、そこから少し歩くと「テンプルロード」と看板が立てられた通りがあり、道の両側に人の気配がほとんどない寺が並んでいた。そのなかをビーサンでぺたぺた歩く。35度の太陽の下、ふらりふらりと気の向くままにさまよって、夕方、日が暮れた頃にバスでマンガロールまで戻った。
インドへ着いたのは12月24日。そのときはもう、自分でもびっくりするほど顔がむくみ、足が重く、よくこんなんで日本で生活できたものだというほど、身体の調子が悪かった。写真を撮るのも億劫というより、写真を撮るべきものが見つからない。カメラがずっしり首に食い込む。停留所だろうと停止せず、乗りたいなら飛び乗りなと言わんばかりのバスに乗りたくても追いかけて走れない。わたしは、ずいぶん変なものを背負っているのだと思った。自分にとって余計なものが何枚も層となって身体の上に積み重なり、それをずるずるとひきずりながら歩いているような感じがした。
旅はデリーから始まり、ムンバイ、マンガロール、コーチンへと続いた。その間、炎天下のなかわざわざ日なたを選ぶように歩き回った。とりあえず、歩けばなにかが変わると思ったのだ。自分にとって余計なもの、それはたとえばやり残したことややってはいけなかったのにやってしまったこととか、言いそびれた言葉や言ってはいけなかったのに言ってしまったこととか、そんなことが太陽の光のなかで溶けていけばいいと思った。
インドが好きなんだね、はまっちゃったんだね、と言われれば、ああ、そうだね、と笑うけれど、実のところ、それは正しい表現ではない。日本で満たされないからインドへ行くのではなく、日本では出会えないものを見つけにインドを旅するのでもない。日本に不満があるわけでもなく、日本には愛すべきひとたちもたくさんいる。
なのになぜ、こうしてインドへ来るのかと言われれば、相手を納得させるだけの答えを言えるかどうかいまいち不安なのだけど、ひとつだけはっきりしているのは、インドはわたしにとって洗濯機のようなものだということだ。自分をスパイス色の渦のなかへ放り込む。そこではきれいなものも、豊かなものも、貧しいものも、醜いものも、皆がごっちゃになって混ざり合い、解け合い、こすれ合う。そして、その渦のなかから自分をつまみあげるとき、なにかが確実にそげ落ちているような気がするのだ。
日本は確かにいいところだと思う。だけど、いつまでも同じ川のなかにいるだけでは自分の汚れを洗うことができないように、どこか違うところへ身を移さなければ、どうやらわたしの場合、だめみたいだ。それはなにもインドでなくたっていいのかもしれないけれど、インドほど強烈な渦を持つ国をほかに知らない。わたしが何度もインドへ通う理由は、それだけだ。
インドを出たのは1月5日。コーチンの宿をチェックアウトするときにふと鏡を見て、ああ、やっと、と思った。やっと、なにかがはがれ落ちた。仮面が割れたのか、重いものを脱ぎ捨てたのか、あるいは35度の太陽の下で水滴となって溶け落ちたのかわからないけれど、ようやくなにかが無くなった。走れる、撮れる。インド人と笑顔で話せる。まあ、時折怒ったりもするのだけど。
過去の記憶とともに進んだ旅は、こうして終わった。いくら、過去のことばかり考えていたといっても、過去を反省したわけでも、激しく後悔したわけでもない。むしろ、いまはすべてを肯定する気持ちがあるだけだ。だって、しょうがないじゃん。過去だもの。
いまのこころを、洗いざらしの真っ白なシーツみたいな、と形容するのは大げさだとしても、灼熱の太陽の下で乾涸びるほどからからに乾いていて、いまならなんでも奥底まで浸透しそうだ。さて、2010年。まずは一番近い明日という未来のことから考えていこうと思う。