アジアとアジアの飯をこよなく愛するライターの、「旅」と「パン」と「おいしいもの」があれば幸せな毎日の記録です。
by asian_hiro
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ひまわり
生まれる場所は選べなくても、
生きる場所を選ぶことはできるのだろうか。
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旅のあいだ、たくさんの子どもと遊んだ。
最初はどうやって遊んだらいいのかとまどったけれど、
いつだって、子どもたちがわたしの手をひいて
遊び方を教えてくれた。

村全体を舞台に鬼ごっこをしたこともある。
ひまわりの咲く畑道で、ゴム段をしたこともある。
満月の下、縁台ですいかを食べたこともある。
アルプス一万尺を教えたら、
ものすごいスピードでわたしと張り合った女の子もいた。

片親の子。両親のない子。
母親がいても精神を病んでいたり、
屋根も壁もない、柱だけの家で暮らす子もいた。

この子らの母になりたいと思ったこともある。

旅から離れて久しくなった今でさえ、
ひまわりを見るたびに思い出す。
あのとき浴びた金の光。カラカラに乾いた土のにおい。
またいつか、いっしょにゴム段ができたらいいなあ。
by asian_hiro | 2008-07-31 12:55 | ニューヨーク生活・日々 | Comments(4)
甘夏
夏は甘いか、酸っぱいか。
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「くだもの占い」があったら、わたしはきっと柑橘タイプだと思う。
キュートないちごや、初々しい桃や、
天真爛漫なマンゴとは、ちょっと(いや、大きく?)ちがう。
だからといって、柑橘タイプとするのに理由はないけれど、
結構、当たっているんじゃないかなと思う。

柑橘類のなかでも、みかんや伊予柑やネーブルではなく、
たぶん、甘夏。
「甘い夏」なんていう名前がついているのに、
ほんとうの旬は、冬から春にかけてなんだよね。
そんなところが、似てる気がする。
by asian_hiro | 2008-07-30 10:46 | ニューヨーク生活・日々 | Comments(4)
果実
木に生るものは果物。葉に生るものは野菜。
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果物と野菜の区別には、そんな定義があるらしい。
それなら、いちごやスイカやパイナップルやメロンは
もしかして野菜チームに入るのだろうか。
トマトやとうもろこしが生るのは、あれは木? 
それとも葉?
境目がよくわからないけれど、まあいいや。
とりあえず、今は街のあちこちに
きらきら輝く熟れたいのちがあることに感謝する。
by asian_hiro | 2008-07-29 11:28 | ニューヨーク生活・日々 | Comments(2)
香り
すべてのものに時差がある。
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すれ違った直後に、ふといい香りが漂ってくると、
思わず、そのひとの方を振り返ることがある。
香りはいつでも時差を生む。
香水は、目の前にいるひとのためにつけるのではなく、
通り過ぎたひとのために装うものかもしれない。

もしかしたら、手紙やメールやメッセージも
「いま」を過ごす相手に送るのではなく、
ほんの少し、未来や過去を生きているそのひとに
送るものなのだろうか。
そうだとしたら、
心が100%伝わることなど奇跡に近いことなのだろうし、
だからこそ、「伝える」という行為に真剣になるのだろうと思った。
by asian_hiro | 2008-07-28 01:36 | ニューヨーク生活・日々 | Comments(6)
ホテルスリヤ
ときどき帰りたいと思うのは、たとえばこんな夜。
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夜風に乗って、ガンジス川の向こうの寺から声が響く。
はじめはなんと言っているのかわからなかったけれど、
となりにいたインド人の友人に尋ねたら、
それは、スワーハという真言だと教えてくれた。
ひとりの僧侶がマイクを通して「スワーハ」と言い、
そのあとで大勢が地響きみたいに「スワーハ」と声を返す。
何千、何万年もの間、
ひとと神の世界を結んできた、不思議な響きを持つ言葉の波が
夜の闇をふるわせた。

インドのリシケシュで3ヶ月間過ごした「ホテルスリヤ」には、
2階にとても大きなテラスがあった。
夜、眠るまでのわずかな間、
ぽつりぽつりとあかりが灯るだけの山間の町並みを
傾いた椅子に座って眺める時間が好きだった。
「スリヤ」とは、ヒンディ語で太陽のこと。
だけど、いま振り返ってみればこの宿での思い出は、
暗闇に艶光りするガンジス川とか、
ざわざわ揺れる、生き物みたいな木立の影とか、
乳白色の天の川とか、
なにか、得体のしれない大きなものがじっと息をひそめているような、
夜の印象が、なぜか強い。
by asian_hiro | 2008-07-27 10:13 | ニューヨーク生活・日々 | Comments(6)
すずめ
すずめの跳躍みたいな身軽さで。
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すずめは2本の足をそろえて跳ねて、
かもめは1本ずつ足を出す。
ハトも1本ずつ足を出して、
インコも1本ずつ、出した気がする。
じゃあ、つばめはどうだっけ、
カラスはどうだっけ、
くじゃくは、白鳥は、って考えたら止まらなくなった。

お昼休み、持参したベーグルを食べながら、
日向のベンチに座り、すずめのジャンプを眺めていた。
ゴム毬が跳ねるみたいなリズムを覚えられたら、
わたしも次の島へ飛べる気がする。
すずめの跳躍みたいな身軽さで。
by asian_hiro | 2008-07-25 10:15 | ニューヨーク生活・日々 | Comments(4)
夜明けの雷。朝の水。
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昨晩、音楽を聴きながら眠ろうと思った。
電気を消し、ブラインドを下ろした薄闇の部屋で、
パソコンとスピーカーの電源ランプだけが光っていた。
7曲聴いたら眠ろうと思い、3曲目が流れていたのは覚えてる。
だけど、そのあとは記憶がなく、
朝、起きたら雷が大音量で響いていた。

たしかに、なにかを言いたい、話したいと思いながら眠ったのだ。
だけど、荒々しいほどの稲妻を窓辺に立って見上げていたら、
いつのまにか、言葉が手の届かない所へ遠ざかってしまった。
もう一回稲妻を見たら思い出すかもしれないと、
ずっと窓辺で待ったけれど、空が光る気配はなくて、
しかたなく顔を洗いに洗面所へ行った。
蛇口をひねり、手のひらを丸めてその下に出すと、
みるみるうちに澄んだ水が溜っていく。
手に当たる水圧がこんなに心地よいと思ったのは初めてだし、
こぼれてもこぼれても、きれいな水が際限なく溢れてくる様子を
心強いと思ったのも、初めてのことだった。
by asian_hiro | 2008-07-24 10:53 | ニューヨーク生活・日々 | Comments(2)
きゅうり
求めたことすら、忘れるほどに。
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夏になると、いつもきゅうりをよく食べる。
塩でもみ、しょうゆと酢とみりんを少々。
だけど、アメリカのきゅうりは水分が多かったり柔らかすぎたり、
見た目は立派なのに味がまったくなかったり、
どこにもおいしいものはないんだなあとあきらめかけたいたところ、
最後の挑戦と思って買った小さなきゅうりが思いのほかおいしくて、
それからは、日課のようにこのきゅりを漬けている。

今ではもう、これ以外のものを手にすることはないけれど、
なぜか、ときどき思い出すのだ。
日本の味を思い出しつつ、八百屋を巡ってきゅうりを探し、
これもちがう、あれもだめ、と試行錯誤を繰り返した毎日を。
おかしくなるほどひたすらに、
夢中でひとつのものを追いかけたあのときを。
by asian_hiro | 2008-07-23 10:13 | ニューヨーク生活・日々 | Comments(2)
アボカド
冷蔵庫に入れておいたアボカドが、
いつの間にか、食べごろを過ぎてしまった。
ラグビーボールをふた周りくらい小さくしたようなサイズの
緑のアボカドは、表面に黒い斑点が浮き出ている。
これは潰してアイスにするしかない、と
皮をむいてボウルに入れ、しゃもじでひたすら押しつぶす。
あらかた塊も消えたところではちみつを入れようと、
棚の上に手を伸ばしてプラスチックの容器をつかんだ瞬間、
その方を見ていないのがまずかったのだ、
手前に置いてあったガラス製の計量カップが棚から落ちた。
バリンと派手な音を立て、アボカドのなかに砕け散る。
一瞬、何が起こったのかわからなかったけれど、
その次には、頭の上に落ちなくてよかったなあと
さすが、どんなときでもプラス思考のわたし、
よかったよかったとつぶやきながら、
床にこぼれた破片をほうきとちりとりで片付け始めた。
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計量カップはまた買えばいい、
アボカドは食べ損ねたけれど
今度買ったら、黒くなる前に食べればいい、
とにかくケガをしなかっただけでもよかったのだと思いつつ、
片付けを終えて部屋に戻り、パソコンに向かった。
ふと思い立ち、昔の写真を入れたフォルダを開いてみると、
何ヶ月ぶりだろう、このブタのぬいぐるみが目に飛び込んできた。
これはたしか数年前の冬、
一緒に仕事をしていたひとからもらったものだ。
花束のなかに、このブタがこっそり忍んでいたのだ、
あの花束は桃色のガーベラだった、
名前は忘れてしまったけれど、
黄色い花もあった、白い花もあった、
そして、この写真はニューヨークへ来る前日、
最後に部屋で撮ったものだ、と
まるで、糸を手繰るみたいにそれらが次々と頭に浮かんできたとき、
どうしてだろう、
はじめて少し、泣きたくなった。
by asian_hiro | 2008-07-22 10:32 | ニューヨーク生活・日々 | Comments(8)
1ヶ月
はじまりは、このパンで。
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私は曲を作ったことがないけれど、
たぶん、その醍醐味は和音を考えることにあるのだと思う。
たとえば、同じメロディを3度続ける場合でも、
それに合わせる和音によって、印象はまったく違う。
はじめのひとつは不協和音。
ふたつ目の和音で少しだけ光がさし、
最後、心地いい響きだけがそこに残る。
その瞬間こそ、不協和音の存在理由。
そんな一瞬を味わうために、
何度でも、はじめからその曲を繰り返したくなる。

*

花火を見に行った。
早めに会場に着き、ベンチに腰を下ろした途端、
あいにく雨粒が落ちてきた。
スタートは夜の9時。
8時、雨が止んだ。9時直前、また雨が降り出した。
雨でも花火は上がるのだろうか、
それとも、今夜は中止なのだろうか、
誰もはっきりしたこたえを知らないまま、
墨を流したような雨空のしたで、ただ待つしかないというのは、
まるで、真っ暗な洞穴を手探りで掘り続けるようなものだと思ううち、
9時半、ようやくひとつめの花火が上がった。
腕にも首筋にも、湿った夜風が容赦なくまとわりつく。
雨混じりのぬるい空気のなか、咲いては散る花火を見上げながら、
これが、なにかの始まりの合図になればいいと思った。

*

七夕の日、短冊を書いた。
願いは文字や言葉にした瞬間、意思を持つ。
淡々とした日常にわずかな色を添えるような、
取り立てて特別なことのない、だけどかけがえのない願いごとを
一枚ずつ、黒い水性ペンで書きながら、
たとえ、昨日の約束はたえず上書きされていくのだとしても、
すべての願いが叶うのだと、
すべての願いを叶えるのだと、
なんの迷いも疑いもなく
まずは、明日という近い未来を信じようと思った。

*

晴れたり雨が降ったりするのに、説明がいらないように、
思いのまま行動することに、きっと弁解はいらないのだろう。
「人生一度きりなんだし、たとえ後悔することになったとしても
自分の思う通りに生きないとね、hiroさん」
わたしの名前で終わっている友だちからのメールに
不意に、背中を押してもらった。
わたしの本意を知ってか知らずかわからないけれど、
みごと、ど真ん中を突いてくれたよ。ありがとう。

*

これが、わたしの1ヶ月。
長い、おやすみから戻りました。
また、どうぞよろしくお願いします。
by asian_hiro | 2008-07-21 10:44 | ニューヨーク生活・日々 | Comments(18)