たぶん、今にも泣きそうな顔をしていた。
それでも、店を出たら足元に小さな花が咲いていて、
坂道の向こうからは、海風が吹いてきて、
まるで、目の前を流れゆく潮の粒まで見えるような濃密さに
一瞬、ここがどこだかわからなくなった。
音楽で本当に大切なのは、音色やリズムやテンポではなく、音と音の隙間を埋める空白だと聞いた。
ならば、言葉で本当に大切なのは、実際に書かれたものごとではなく、それが読み手のなかにどんな景色を描くのかということだと思う。
だけど、もしそうなら怖くて文章など書けやしない。
言葉は限りないエネルギーを持つ一方で、途方もなく無力だ。
そんな得体の知れないものと、わたしは毎日戦っているのだろうか。
海辺のベンチで、日記を書いた。
今年の正月、山から下りてきたあと、真っ先に文房具屋へ飛び込んで買ったノートだ。
それ以来、会社の昼休みとか電車のなかとか、時折、思い出したようにつらつらと書き留める。
汚い文字だ。誰も読めない。
だからこそいいのだ。わたしだけが、この内容を理解する。
ひとのためではない。
自分の心に道筋をつけるため、文字で想いを綴るのだから。
目の前のこなすべきものが見えず、欲しいものがわからなくなり、
ここから逃げようとすれば自己嫌悪に陥ることもわかっているのに、
どこかで避難場所を探している。
来年の今頃はこんな心境にあったことなどけろりと忘れて、
「ああ、そんなこともあったよねえ、あはは」と、大笑いしてしまうのだ。
それでいい。人生は、そうでなくちゃ進まない。
波が次第に高くなった。吹き付ける風も強くなった。
目に砂が入り、涙がぽったりと零れ落ちる。
その瞬間、ああ、ようやく泣けたのだと思った。
「泣く」ではなく、「泣けた」と。
さっき、今にも泣きそうな顔をしていたのは、きっと、この涙の伏線。
人生には、そんな仕掛けがたくさんあって、すべてが線と点でつながっているのだろう。
今日のこの涙も、明日のなにかと結ばれているのだとしたら、
すっきりした気持ちで、朝を迎えることができるかもしれない。