もう、どこにも行かなくていい。
完熟の梅の実が安く売られていたので、
3kg買って、全部、ジャムにした。
ジャムのレシピはいろいろあり、
茹で方やあくの取り方、砂糖の量などさまざまだ。
3kgのうち、2kgをいつものやり方で作り、
1kgは新しい方法で作ってみた。
そういえば、秋に栗の渋皮煮を作るときも
以前は、こんなふうにいろいろなレシピを試していた。
水を加えずに砂糖だけで煮てみるとか、
砂糖の種類を変えてみるとか、
あく取りに使う重層の量を減らしてみるとか、
あれこれ試したけれど、
結局、いちばんピンと来るものに落ち着いてからは
もう、そのレシピ1本に落ち着いた。
ジャムは、まだその域に達していないので、
これからも、いろいろなレシピを試すだろう。
「これさえあれば」というものに出会うまで、
トライ&エラーは続くのだ。
(まあ、ジャムにエラーはほとんどないのだけれど)
こんなことを考えながら、朝、いつもの道を歩いていて、
人生って、同じことの繰り返しだなと思った。
インドでヨガを始めたとき
師事したい先生を探すために、
リシケシ中のヨガスクールを訪ね歩いたのも、そうだ。
これまで、何十のスクールに参加したかわからない。
町なかに貼られたポスターや人伝の情報などを頼りに、
毎日、違うクラスに参加した。
でも、どれもいまいちしっくり来ない。
「これだ」という感覚が得られない。
そんななか、ポスターもちらしも一切ない、
ただ、クチコミだけで生徒がどんどん集まってくる先生の話を聞いた。
それは、ほんの偶然で
場所も時間も、ほとんどはっきりしないまま
「参加できたらいいや」程度の
軽い気持ちで出かけていったのだけど、
その日が、わたしにとって人生の分かれ道だったのだと思う。
クラスが始まった瞬間、「これだ」と思った。
1つだけ、欠けていたピースがぴたりと収まったような
そんな感覚は、いまでもはっきり覚えている。
もう、探さなくていい。
どこにも行かなくていい。
これさえあればいいというもの。
最近、たまたま知り合ったひとは、
クレイジーケンバンドが大好きだそうで、
「ほかの音楽は聴かないんですか」と尋ねたら、
「聴かないねえ。クレイジーケンバンドを知ってからは、
そのなかに、全部が詰まっている感じがしてね、
もう、ほかのものを聴く必要がなくなったんですよ」
と、言った。
その話を思い出しながら、
クレイジーケンバンドの曲を聴く、日曜の夜。
冷蔵庫にはたくさんの梅ジャムが入っていて、
近々、会う予定になっているひとたちに、
少しずつお裾分けしようと思っている。
今週は大粒の青梅を買って、梅酒を作ろう。
梅酒のレシピにもいろいろあって、
ホワイトリカーを使うか、ブランデーを使うか、
あるいは、日本酒で漬けこむか、
まずは、どれから試すかな。