近すぎて、気がつかない。
昔、中国のピチャンという小さな町から砂漠へ行った。
45度になろうかという真夏の日、砂山を登りながら、
これを越えたらどんな景色が広がっているんだろうと考えた。
オアシスか、ナツメヤシか、ひつじの群れか、
わくわくしながら山頂に立つと、
そこから見えたのは砂しかなかった。
見渡す限り、一面の砂。
次の山を越えても、やっぱり砂しかなかった。
町に戻り、宿へ向かって木陰を歩いているときにふと思った。
オアシスは、砂漠の向こうにあるんじゃない。
こっちの世界がオアシスじゃないか、と。
*
仕事は午後からだったのだけど、朝早くの新幹線で大阪へ行った。
THE CITY BAKERYで朝ご飯を食べようと思ったのだ。
夏、友だちとここに初めて来たとき以来、
なぜか、このトーストが懐かしかった。
店内には大きなテーブルがひとつ置かれていて、
前回と同じように、角の席に座って食べた。
*
パンの焼け具合は絶妙だった。
厚みもわたし好みだった。
バターとりんごジャムが付いていて、
コーヒーの味もわたしが好きなタイプだった。
そういえば、最近、丁寧にコーヒーを淹れていなかったな。
インスタントコーヒーと牛乳と水と、
適当な配合でカフェオレにしてばかりだったな。
パンを食べ終え、コーヒーを飲みながら日記を書いた。
日記帳を開くのも、ここ最近、なかったな。
*
わたしにとって日記を書くということは
日々の生活にしおりを挟むようなもの。
しおりがなくても本は読める、
でもしおりがあったらもっと読みやすいし、
同じところをウロウロしなくても済むでしょう、
日記もそんな感じなのだ。
このところ、ワサワサした気分が続いていたのは
生活に、日記というしおりを挟んでいなかったからだ。
*
思い通りにいかない案件が続いたり、
書いても書いても仕事の山が減らなかったり、
ちょっと、いろんなことが限界だなって思った。
そんなとき、いつも思い出すのは
千代の富士が引退したときの言葉、
「体力の限界。気力もなくなり……」という台詞。
あれは、かなり衝撃だった。
体力と気力の世界で勝負をしてきたひとが「限界」と口にする、
その心境を考えると、なんだかたまらなくなってしまう。
*
最近、千代の富士の言葉を不意に思い出すことも多かったのだけど、
そうかと思うと
久しぶりの友だちが仕事を手伝ってくれたり、
大学時代の親友が
“A happy belated birthday"とお祝いをしてくれたり、
よく考えたら、悪いことばかりじゃなかった。
むしろ、なにがダメだったんだっけって
記憶を手繰りたくなるくらいだった。
わたしにとってのオアシスは、
たとえば、朝に食べるこんなパンや、
マグカップへ無造作に注がれたコーヒーや、
携帯に届くメールや電話や、
日記帳に書き綴る
なにげないひと言のなかにあるのかもしれない。