ガンジス川の沐浴場を上がったところで、お母さんと3歳くらいの女の子が地面にべったりと座っていた。
目の前にはアルミの皿。だけど何も入っていない。
2人は人にお金を要求することもなく、焦点の定まらないうつろな視線で通りを見ている。
私は手にパンを持っていた。これから川べりのチャイ屋で1杯飲みながら朝ごはんに食べようと思っていたのだ。
どうしようか迷った。
だけど気づいたらアルミの皿にパンをのせていた。
女の子は私を見上げ、不意ににっこりと笑った。
その瞬間、私は彼女の笑顔が見たかったんだと思った。
その日の食べ物さえ間に合わない人が大勢いる。
旅の間でもたくさんの孤児や物乞いとすれ違い、正直な話、腕をつかまれたり足にしがみつかれたりすると、「やめてくれ」と思ったりもする。
だけど、彼らは私の旅の出演者でもなんでもなく、そのままそこで何年、何十年とそうした生活を続けていくのだと考えれば、なんとも言えない気持ちになる。
日本の私ができること。
それは、「覚えている」ということだと思う。
忘れない。なにかにつけて思い出す。
たとえば、この
ホワイトバンドを見るたびに。
世界では3秒にひとり、貧しさから子供が死んでいるという。
私がこのブログを書いている5分の間にも100人の子供が死んでいる。
それが50人になり、30人になり、やがてはゼロになるように、少しでもいいから自分のできることを始めてみたい。