いま、手のなかに存在するもの。明日、手のなかに訪れるもの。
なんか、いろいろなことが滞っていて、
血液も、体液も、なみだも、脳みそも、
1ヵ所でストップしてしまっているような感じがして、
ああ、こんなときはヨガだ、ヨガスタジオへ行かなきゃと、
ほんとうに久しぶりに、スタジオへ出かけた。
先月まで、週5回くらいスタジオへ通っていたのだけど
最近、めっきり足を運べなくなっていて、
自宅や屋上や、ときどき緑道で体を伸ばすことはあっても
やっぱり、スタジオでみんなと一緒に動くのとは違うのだ、
ひとりの集中力は、みんなの集中力と出会って増幅する、
久しぶり、じっくりと自分の内側に注意を向けた。
急ぎ過ぎたか、走り過ぎたか、
欲張り過ぎたか、
それとも、走っているようでただ足踏みしていただけなのか、
最近、いや、もっとずっと前から
たぶん、わたしはこんな感じで、
ヨガを終え、家までの道を歩きながら、
なんだか、いっぺんでいろんなことがわかってしまった。
ああ、そんな簡単なことだったのか、
なんだなんだ、もういいやって。
ヨガ仲間の、バリのレッスンは
ものすごくハードだし、ストイックだし、
それを毎日6時間くらい、受け続けた時期もあるのだから、
日本のヨガクラスで、
「これはしんどい!」と思ったものは、ひとつもない。
だけど、今日のクラスがしんどく感じられたのはなぜだろう。
ああ、きれいな景色のなかで休みたいな。
湧き水、あおぞら、ひばりの声、
木々の緑と、土のかおりに、風のおと。
そんな世界に、行きたいな。
車のテールランプを眺めていると、
なんともいえず、心が無性にざわざわする。
手放すのは、世界ではなく、
それにしがみつく、自分自身なのだろうね。
そういえば、むかし、
「一度、できたポーズはもう手放していいのです」と言った
ヨガの先生がいた。
「今日はできたけれど、明日はどうだろう。
あさってはどうだろう。もう二度と、できなかったらどうしよう」と
考える必要など、たぶん、どこにもないのです。