未来へ向かって、大きく転ぶ。
連休は、屋上にいる時間が長かった。
原稿3本書く時間だけ、マクドナルドにこもったほか、
屋上でヨガをしたり、寝そべったり、
いい天気だなあってぼんやりしたり、再びヨガをしたり、
そんな時間を過ごしていた。
ケータイも、本も、日記も、
みんな部屋のなかに置き去りにして、
ただ、ヨガマットを敷いて横になった。
夕方になると、大きな声で歌をうたった。
この間のインドで、数年ぶりに会ったヨガ仲間が
本拠地であるタイに帰り、クラスでの指導を再開したと聞いた。
彼と一緒にヨガを練習するときは、たいてい、
わたしが彼にどうやったら体が柔らかくなるかを教え、
彼がわたしに
どうやったら腕の筋肉を鍛えることができるか教えてくれた。
そういえば、最近、
彼からもらった宿題をすっかり忘れていたなと思い、
久しぶりにやってみたら、
みごと、前まわりでごろりと転がってしまった。
「『前』は未来をさすのです。
人間は転ぶとき、たいてい前に転ぶけれど
それは、未来に向かってチャレンジしているのと同じこと。
堂々と転んでいいのです」
以前、あるヨガの先生はそう言った。
その言葉を思い出しながら、
何度も何度も前まわりで転がり、
わたしは、彼からもらった宿題を練習した。
毎日、自分が無意識に繰り返していることは
自分の得意なことや、好きなことでしかない。
だから、転がりながらでも練習できるなにかがあるということは
とてもしあわせなことなのだと思う。
温度も、においも、肌触りも、
どこかなつかしい風が吹く、秋の夕暮れ。
しばらく、街並を眺めてから、
今年、何度目かになる栗の渋皮煮を作るために、部屋へ帰った。