わたしがわたしであるというプライドだけは失くさない。
途中に通りかかったベローチェで、アイスコーヒーを飲んだ。
かばんから日記帳を取り出し、2ページ書き終わったところで、
さっき、amazonから届いたばかりの
「<子ども>のための哲学 」を開く。
ひとは、なぜ悪いことをしてはいけないのか。
なぜ、自分はこの世に存在するのか。
そんな問いを真正面から考えるには、今日の気温は暑過ぎて、
クーラーが効いているはずの店内でも、
グラスの氷は、みるみるうちに溶けていく。
ひとは、なぜ生きているのか。
わたしはなぜ、今、この場所にいるのか。
耳に突っ込んだイヤフォンから聴こえるのは、
Allen Toussaintの、遠くで囁いているようなSouthern Nights。
隣には、スポーツ新聞に向かって
なにやら熱心に書き込んでいるおじさんがいる。
「ぼく」という言葉はいったい何を示すのか。
記憶がすべて別の物にすり替えられても、
それは相変わらず「ぼく」なのか。
哲学の道の入口に立つための、質問の波は止まらない。
本の内容は決して簡単ではなく、
時折、戻り読みしてしまう部分もあるけれど、
これがもし、ほんとうの意味での「子ども」のための本ではなくて、
子どものように、
自分が何も知らないことを知っているおとなのための本だとしたら
充分、わたしには読む価値がある。
いいえ、わたしは何も知らないわけではないのです。
ほんとうに知るべきことの扉の前で、
扉を開くタイミングを、ただ計っているだけなのです。
氷がほとんど溶けてしまったアイスコーヒーを飲み干して
本を閉じ、日記帳をしまって、ベローチェをあとにする。
あしたは日曜、あさっては月曜、その次は火曜、
当たり前だと思って、淡々と受け入れていた事実にも
もしかしたら、まだ考える余地があるのかもしれないと
真夏の太陽に照らされた緑道の、ど真ん中を一歩一歩進みながら、
さて、ひとまず今晩の夕食はなににしようと考えた。