その足を、踏み出す先には。
渋谷のマークシティからJRの改札口へ向かうときは、
いつもここで写真を撮りたくなる。
いつ、撮っても代わり映えのない写真だ。
だけど、ここではケータイのカメラを向けずにはいられない。
昨日、突然熱を出した。
最近、インドから帰ってくるたび体調を崩していたのに
今回はなぜか出発直前に39度の熱が出た。
今日、会う予定だった友だちにメールしたら
「厄落としだよ」って、返事が来た。
旅の準備と部屋の整理を同時進行で行っていた途中なので
部屋はめちゃくちゃ、強盗さえ逃げ出すような有様のなか、
無理矢理、布団を敷いて一日中横になった。
ふと、目の前に転がっていた昔の手帳に目が止まったので、
腕を伸ばし、パラパラとめくってみたら、
当時、好きだった音楽の名前が走り書きでメモされていた。
たぶん、わたしはどこかでその曲名を見知ったのだ。
そして、急いでそれをメモしたのだ。
今ではもう、その音楽を聴くことはないのだけど
とても懐かしくなって、
布団を抜け出し、iTunesでダウンロードして聴いてみた。
当時の、こころをギュギュッとつかみとるような感じはしないけれど、
なんだか、あの頃の思い出が次々とよみがえってきて
思わず息苦しくなってしまった。
再び布団を抜け出してiTunesを閉じ、眠った。
目が覚めたら、すでに窓の外は暗かった。
世の中は、いろいろな記憶の積み重ねでできている。
単純に量だけ比較したら、現在より過去のほうがずっしり重く、
わたしたちは
ずぶずぶと記憶の泥沼に足を踏み入れながら生きている。
ときにその泥沼はほんのりと生暖かく、
わたしたちの足をその場にとどめようとするのだけれど、
よっこいしょと片足ずつ引き抜いて、
わたしたちは前へ進まなければいけないようだ。
だいじょうぶ、
わたしたちの足下にあるのは記憶という過去だけではない。
足を進めるその先には
いつでもまっさらな未来の光が敷き詰められている。