新しく作ったとしても、思い入れも、思い出もない。
トウキョウは、ここにあるからトウキョウなのであって
何らかの不幸な出来事があって
トウキョウ都民が、どこかへ引っ越し、
「新しいトウキョウ」を作らざるを得なくなったとしても、
それは、決してトウキョウにはなれない。
ふるさとに帰れない人たち、
ふるさとが放射能の墓場になるかもしれない人たち。
ふるさとの海が、山が、空が、目に見えないもので覆われる恐怖、
「汚染」ということばの、ただ淡々として空恐ろしい響き。
いったいどこへ、そのやりきれない感情は向かうのだ。