アジアとアジアの飯をこよなく愛するライターの、「旅」と「パン」と「おいしいもの」があれば幸せな毎日の記録です。
by asian_hiro
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痛み
ありがたく思いこそすれ。
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癒すとか、癒されるとか、そんな言葉がわたしはあまり好きではなくて、できるなら遠ざかっていたいのだけど、以前、それを友だちに話したら「ひとは誰でも誰かに癒して欲しいとか、癒されたいとか思うのであって、だからこそ、自分も誰かを癒してあげたいと思うのだ」と、彼女は言った。

わたしはまったく反対の考えで、「そもそも、他人に癒して欲しいと思うひとが、他人を癒せるはずはない」と思うのだけど、そう考えるのは「わたしが強い」からで、「誰もがそう思えるわけではない」と、彼女は言った。

「癒し癒され」の人生が良いのか、あるいは、「癒しなどまったく考えてもいない」人生が良いのかわたしにはわからないけれど、とにかく「癒し」という言葉を聞くと、うわっつらの軽さや嘘くささを感じてしまうのは確かな事実で、もし、「癒し」を心地良いものや気持ちよいもの、自分を本当の場所に連れ戻してくれるものと定義するなら、そんなものは手を伸ばして求めなくてもあちこちに転がっているはずだし、そうやって不意に見つけた小さな感動こそ、本当の意味で心をストンと落ち着かせてくれるものだと思っている。いや、違うな、書いていて、いま、違うと思った。本当は、そんな「なにか」の手を必要としなくとも、わたしたちは本来の居場所へ簡単に立ち戻れるはずなのだ。自己とひたすら向き合うことによって。何も求めず、静寂のなかで佇むことによって。

だけど、そうはいっても心とあたまは別物で、実際はわたしだって心のどこかでいつもなにかを叫んでいたみたいだ。いや、「みたいだ」という表現は正しくない。わたしは自分が叫んでいたことを知っている。決して癒しを求めていたわけではないけれど、なにかを求めていたことは間違いない。だけど、その声に対して常にわたしは耳を塞いでしまっていて、「声に耳を傾けてしまうと、自分の弱さやずるさや醜さを認めざるを得なくなる。それなら、はじめから無かったことにしてしまおう」と、声が聞こえるたびに必死で穴を掘って埋めていたのだ。わたしは、それらの感情のひとつひとつを、すべてはっきり思い出すことができる。そして、そんなふうに、溜め込まれた感情の一片一片が、いま、わたしの体の痛みとなっているのだと思う。

「なにかにこの痛みを癒して欲しい」とは思わないし、「どうやったら痛みを消せるか」ということも正直、あまり考えていない。痛いなら痛くてもいい、それより、自分が葬ろうとしてしまったさまざまな感情が、こうして体感できる痛みとなって現れてきたことを、雲ひとつない青空みたいに、一点の濁りも無く受け入れられる。そして、「心と体はつながっている」と、これまで何度も何度も自分に言い聞かせ、文字にもしてきた言葉が、ようやく実感できたことに感謝している。
by asian_hiro | 2011-05-24 22:50 | 日々のこと | Comments(2)
Commented by at 2011-05-25 09:00 x
上遠野浩平の「ペパーミントの魔術師」という作品がありまして、とても美味しいアイスクリームを作れ、食べた人の痛みを引き受けるという能力を持つ主人公なんですが、痛みがなくなってゆく人々はどんどん鈍感になってゆく…読んでいてその小説を思い出しました。
Commented by asian_hiro at 2011-05-25 23:22
>帝さん
インドからお帰りなさい。初インド、どうでしたか。
また、いろいろ感想を聞かせてください!

「ペパーミントの魔術師」は読んだことがありませんが、
なんとなく、痛みがなくなって鈍感になるというのは
わかる気がします。
最近は、一ヶ所の痛みがなくなると、
どこかまた別のところに痛みが来て
そうやって痛みは点々と体内を移動してまわっているのかも
しれないと思うようになりました。
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