回れよ、回れ。
生まれて初めて乗った観覧者は、たぶん、デパートの屋上のもの。
観覧車そのものの高さはそれほどでもなかったのだけど、
真下の道路に投げ出されるような格好で
箱がゆっくり上昇するのがとても怖くて、
意味も無く、柱にすがりついていたのを思い出す。
真夜中、観覧車に閉じこめられた話が出て来たのは、
村上春樹の『スプートニクの恋人』。
観覧車のなかから覗いた自分の家に
自分でない自分が存在していたというシーンがとても印象的で
だけど、真夜中にたったひとりで観覧車に乗っていたら
そんなことがあっても不思議じゃないと思えてくる。
ニューヨークを去る直前、たしか最後の日曜日だったと思う。
コニーアイランドの観覧車を見に行った。
箱が上昇するだけでなく、横にもスライドするのが珍しくて、
何枚も、何枚もポラロイドで写真を撮った。
その1枚は、今でも部屋に飾っている。
マレーシアの小さな町では、
深夜、移動式の遊園地で観覧車を見た。
子どもたちが乗った鉄のかごを、
おじさんが両手でよいしょと回している。
わたしは観覧車には乗らなかったけれど、
その近くで射的のゲームをして、なにかの人形を当てたのだ。
郷愁と、高揚感と、せつなさと、
複雑な思いがつのる観覧車。
ゆりかもめに乗ると、いつも窓際の席に座って、
観覧車の写真を撮る。