いま、おもえばあのときが。
定期を忘れて仕事へ行くことほど、なんともむなしいものはない。
往復1,000円ほどのお金がどうしても惜しかったわけではないけれど、こうなったら歩いて家まで帰ろうかと迷ったが、腕時計に目をやり、それから切符売り場の行列をちらりと見て少し考えた結果、おとなしく切符売り場の最後尾に並ぶことにした。
もし、それが7時だったらわたしは家まで歩いたかもしれない。
9時だったら止めたかもしれない。
8時だったら微妙だな。
7時半だったら歩いたかな。7時45分だったらどうだろう。
「家まで歩く」という選択肢と「電車に乗って帰る」という選択肢の壁がいったいどこにあるのかわからなかったし、その壁を探すことになんの意味もないことは知っていたけれど、たとえばこんなふうに、ふたつの選択肢のあいだに横たわる大きな壁のような境目を、なぜか無意識に探してしまうことがある。
そういえば昔、中国のゴビ砂漠へ出かけたとき、蟻地獄のように小山のてっぺんからさらさらと崩れていく大量の砂に足を取られつつ、45度を軽く越えていたのではないだろうかと思う真っ昼間、この砂漠が終わったあとに見えるであろうオアシスを想像して、のどをぜいぜい言わせながら遥か向こうの地平線を目指して歩いたこともあった。
旅とは物事の「境目」を探す過程なのではないかと、妙に悟ったような顔をして風景を眺めていることも多く、たとえばそう、人間や牛の死体を飲み込んで悠然と流れて行くガンジス川を眺めながら、いつかこれが大海原と融合する瞬間、つまりは川の終わりと海のはじまりをぜひ、この目で見てみたいものだと思ったこともあった。
思えば「境目」を探してしまうのはなにも旅だけではなく、ちょうど今日、駅で時計と切符売り場を見比べながら少しのあいだ立ち止まったときのように、日常の小さなひとこまにもそんな習癖の断片は見え隠れするのだけれど、今日の出会いがあしたの別れになるような旅の日々は、いわば毎日が「境目の連続」と言っても過言ではないような生活で、パスポートに出国と入国のスタンプを押してもらい、財布の小銭を新しい国の紙幣と入れ替えたりするときは、センチメンタルという曖昧で便利な単語でしか表現するすべを知らない微妙な気持ちを抱えながら、またひとつ、境目をよっこらしょと乗り越えたことを実感した。
それでも「境目」にぶつかるたびむやみやたらと物悲しさに浸ったりするのかというとそうでもなく、国家だろうと文化だろうと宗教だろうと地形だろうと、そしてときにはひとの気持ちだろうと言葉だろうと、すべてのものには終わりがあるのだということに、なぜかほうっと安堵することも多かった。
だけど、境目を挟んで対峙するふたつのものは、たとえていうならオセロがぱたぱたと一枚ずつ裏返っていくようにゆっくり時間をかけて変化していくのではなく、むしろ全部の駒がいっせいのせで裏返しになるように、ほんのわずかなリードタイムもなくある日突然ひっくり返る。これが境目の恐ろしいところで、なにもそんなに急がなくてもいいものを、さっきまで常夏のハワイで泳いでいたのが、いきなりどこでもドアをくぐらされて南極のどまんなかへ追いやられてしまったかのように、突如、ステージを変えてしまうのだ。
もっと悲しいのは気持ちがそれに付いていかずどこかに置き去りにされてしまったような、加害者のいない被害妄想を感じてしまうことで、どうにもやりきれない想いが、眼前、山のようにそそり立つ険しい境目を自力で乗り越えてくるまで肉体は新たな世界のなかでぽつぽつとひとり進むしかないのである。
こころが追いついてくるのを、肉体はただ信じて待つ。ここで言う「待つ」とは、みずからの意思であろうとなかろうと、動きを含む動作のことで、ただひとところにじっとする静止という意味ではない。迷いつつも右、左と歩を進め、時折振り返ることはあったとしても、少しずつ前へ進むという行動を伴う「待つ」なのだ。
灰色の空のした、今年、日本ではじめてみる雪が木や標識やガードレールに容赦なく降り積もっていく様子を前にしてわたしはじっと考える。わたしの肉体は境目を越えたのか、気持ちはこの冬空の遥か彼方をえんやこらと境目めざして歩いているところなのか、それはいつ境目を越えるのか、そして境目を越えるころには、肉体はいったいどこへ辿り着いているのだろうか。
いま、振り返ればあのときがというような過去の瞬間を「境目」だったのだとするならば、わたしにはこころあたりがいくつかあるが、その一つひとつを検証してみるのはどうにも非生産的なかなしい行動にしか思えなかったので、わたしはただ、窓の外の雪景色を暖かい車内からじっと眺めることにした。